リセットしてコンティニュー

　うぅ、頭痛い......。
　眠ってる時からこめかみのあたりがズキズキしていて、目が覚めたことでそれに気付いてしまった、って感じ。
　辺りが完全に明るくなっているのが、閉じた瞼の裏からでもはっきりと分かった。割と近いところから小鳥のさえずりが聞こえてくるのは、窓のすぐ外に雀でも群れてんのかな......うるさくて、頭割れそう。お願いだから静かにしてほしい。
　まだ眠たくて仕方ないんだけど、あんまり痛みが酷いものだから、私は顔をしかめながら目を開けた。

　そしたら、なんとそこには、同じベッドで眠る男の後ろ姿が！！

　もう、驚いたのなんのって。とっさに絶叫しなかった自分の理性を褒めてあげたいぐらいだわ。
　後ろを向いてるけど、誰だかなんて考えるまでもない。だってだって、見間違えようがないでしょ。見慣れた長い黒髪が枕の上に広がってるんだもん！布団から出た腕には程良く筋肉がついてて、白くなった古傷がいくつもよぎってる。手袋の下に隠しているのと同じような痕が、たくさん。もちろん背中にも......
　動揺して視線を逸らしてしまう。なんでコイツ服着てないの！？
　っていうか私も素っ裸だわ！！
　そういや、目は腫れぼったいし、体もだるいんだけど、まさかね？
　恐る恐る、自分の股の間に手を突っ込んでみる。中心はヌルっとしていて、内股のいたる所がカピカピ。尋常じゃないぐらい濡れた痕跡がそこにあった。
　ま、マジで......！？
　私は反対の手で、冷や汗の浮かんできた額を抑えた。コレは、どう考えてもやっちゃってる、わよねぇ？

　......待って。待つのようらら。一度冷静にならなきゃだわ。
　見知らぬ部屋のベッドで目が覚めるってのが、そもそも尋常じゃないと思うんだけど、ココは一体どこなのさ。
　おっかなびっくり見渡してみると、それはもう、ボロっちい部屋だった。壁紙は所々剥がれてるし、ペラペラの安っぽいカーテンも、この湿気たような掛布団も、うす汚れた感じ。この布団、もう何年も干してないんじゃないかっていう、すえたようなニオイがする。うげぇ、キモチワルイよぉ。
　壁際に小さな机、その上に卓上スタンドミラーと灰皿が置いてある。
　あれ？その灰皿が空っぽってことは、昨夜は一服もしてないってことよね。......それってつまり、ここに来てすぐベッドに直行したってことじゃない？
　想像するだけで、恥ずかしすぎて死にそうなんだけど。あぁ、また頭痛が激しくなってきた。
　とりあえず、服を着なくちゃ。
　ベッドをそろりと抜け出したら、床に落ちていたパオの服を踏んづけてしまった。その向こうに、私の服と下着。片っ端から脱ぎ散らかされてる。
　えっと......そんなに余裕なかった、のかな。私達......。
　服を拾っていたら、チャリッと小さな音を立てて何かがカーペットの上に落ちた。『201』って記された木製の札がぶら下げられた、ルームキー。それでようやく、ここがホテルなんだという確証を得た。
　随分とうらぶれたホテルがあったもんだわねぇ。
　私もそこそこいい年だし、別に今更ムードやロマンなんて求めちゃいないけどさ。好きな男と初めての夜を過ごしたっていうのに、よりによって、あばら家みたいに狭くて汚いおんぼろホテルで、

　......しかも、その大事な記憶が残ってないなんて。

　なんか、悲しくなってきちゃった。恋愛運のなさもここに極まれり、だわ。
　意気消沈して後ろ手にブラのホックを止めていると、ゴソゴソという音がしてパオがこっちを向く気配がした。
「......よう、起きてたのか」
　ちらりと振り返って......思わず二度見した。な、なに、その顔！？
　唇にも頬にも鼻にも、私の口紅の跡がいっぱい残ってる。よくあるクッキリしたキスマークじゃなくて、口紅のほとんど落ちた唇で、念入りに吸い付きました、って感じの跡。滲んで広がったその付き方が、どんな狂おしいキスを彼にしたのかを物語ってる。......うわわ、ヤバいって。自分自身に見せつけられているような気がして、顔が火照っちゃう。
　固まったまま凝視してくる私を気に留めるでもなく、パオはベッドから起き上がった（一瞬ドキッとしたんだけど、下着をちゃんと履いてた）。床のあたりを探し回り、ベッドの下に落ちてたライターを拾うと煙草に火をつけて、それを咥えたまま、ベッドヘッドに付いたライトやアラームのボタンをカチカチ鳴らしてる。
「お、電気通ってるじゃねぇか」
　かと思うと、今度は床に落ちてる服を拾いに来て、ポケットから携帯電話を取り出していじり始めた。「電波も届いてる。......停電の件、ニュースになってんな。原因は工事会社のポカだとよ。やれやれ、おかげでえらい目にあったぜ」
　ふーん、なるほど。パオの独り言のおかげで、なんとなく事情が分かったわ。

　私もね、一応、途中までは覚えてるのよ。
　珠閒瑠から車で三時間かけて、このへんぴな片田舎の町にやってきたのが昨日の夕方ごろ。インターネットで依頼してくれたクライアント夫妻との初顔合わせも兼ねた調査結果報告が終わって、打ち上げってことで四人で食事に行った。山の幸をふんだんに使った郷土料理に舌鼓を打ちながら飲む、このあたりの地元の銘酒の旨さったら、もう格別なわけ。そこに出張先っていう非日常の解放感が加わって、へべれけになるまで飲んじゃったみたい。
　もちろんパオも飲んでたわけで、代行運転を頼んで帰る予定だったはずなんだけど、運悪く、送電線の事故による大規模停電が起こってしまったらしいわね。
　電話繋がらなくて代行呼べないし、町中の電気が消えてるしで、仕方なく近場のホテルに泊まったら......こういうことになった、と。

　簡単に化粧を直してから、所在なさげにベッドに座っていると（なにせ椅子がないんだからベッドに座るしかない）、顔を洗って服を着終わったパオがその反対側に座った。
「............」
「............」
　何か言いたそうな雰囲気。沈黙がなんだか気まずい。
　どうしよう。最中のこと何も覚えてないって、打ち明けるべきかな？
　でも、記憶が飛ぶまで酔っぱらってやっちゃった～、なんてわざわざ言うのもどうなのよ。「私はバカ女です」って改めて宣言するみたいなもんじゃない？
　大体、私が飲み過ぎずに早めに終わってれば、もしかしたら、停電に巻き込まれずに済んだかもしれないわよね。まずはそっちを謝るべきかな。そんで、パオの機嫌をうかがいながら、切り出すタイミングを見計らってぇ......
　そんな算段をうだうだ考えていたら。
「......なぁ、芹沢」おもむろに、秘密を囁くみたいな低い声でパオが言った。「あの約束のことだけどよ」
　あの約束って何！？
　なんて、このタイミングでは流石に言えないし、どう返事したらいいのか分からなくて、私は黙っていた。それを、先を促していると捉えたのか、パオはゆっくりと続ける。

「昨夜のことは水に流して、なかったことにしてくれってアレな。......まあ、そういうわけだから、よろしく頼まぁ」

　その瞬間、みぞおちを拳で殴られたみたいな衝撃に、息が詰まってしまった。
　昨夜のこと、覚えてなくて落胆してる私とは逆に、パオは......むしろ記憶から消したいって思ってるんだ。
　そんなのってないよ。
　頭痛と耳鳴りがどんどん酷くなって、座っているにもかかわらず、身体が傾くような感覚に襲われるのを感じていた。眼球が急激に熱くなってきて、ヤバいと思ったからとっさに上を見た。辛うじて堪えた涙を、何度も必死に瞬きをして乾かす。
　なのに。
「さて、腹が減ったな。どっかで飯食って、それから、帰ろうぜ」
　パオの声が妙に優しくて、もうそれ以上はだめだった。
「......ごめん、ちょっとお手洗いいってくる」
　黄ばんで水垢だらけのユニットバスに駆け込んだ途端、溢れ出したものが頬の上を転がり落ちていく。
　ドアに背中を着けたまま、しゃがみこんだ私は、そのまましばらく動けなかった。

　あの日起こったことを、なかったことにするっていうことは、つまり......。
　"前の状態に戻って、今までどおり普通に暮らす" なんて単純なものじゃない。そんなことを求められてるんじゃない、ってことぐらい、私にだって分かってる。
　正解は、"一旦分岐点まで戻って、別の道を行く" ってことなんだよね、達哉君達が苦悩の末に生み出した、この世界みたいにさ。もう二度と、あんな過ちが起きないように。今までよりも距離を保って、気持ちを仕舞い込んで。何も望みを抱かないようにして。私も、そうやって生きていかなきゃいけない。
　分かってる。
　だけど、無理だよ。こんなに膨らみ切った想い、どんな風に折り畳んだって、もう、元あった場所になんて納まるわけがないよ。

　考え事をしてたら、報告書の端で指を切っちゃった。
　ぎゅっと周りを押さえると血の粒がみるみる大きくなっていく。そんなに痛くなかった割に、何回舐めてもなかなか血が止まんない。
「なんだ、怪我したのか？」
　突っ立ったまま指を咥えている私を見咎めて、パオが声をかけてきた。肘から下を机に乗せて、身体を傾ける感じでモニターの向こうから顔を覗かせている。
「ん、まあ。ちょっと切っただけだし平気」
「......」
　な、何よぅ。じろじろ見ちゃってさ。
「......舐めるのはやめときな。雑菌が入って化膿するぜ」
　机の引き出しから何かを取り出して、パオはこっちに近づいてきた。かと思うと、声を上げる間もなく私の手を引っつかんで、傷口をまじまじと見た。その真剣な顔。......指先にかかる息。顔面に血が集まってくるのを感じて、私は慌てて俯いた。
　パオは絆創膏を取り出すと、器用な手つきでくるりと指先に巻いてくれた。
「あ、ありがとね......」
　ありがたいんだけど。
　でもさ。......どうして、また私の手首を掴み直したわけ？応急処置は終わったよね？なんだか、必要以上に体が近い気がするし。ちらり、と見上げると、濃い色のサングラスを透かして、パオの意外と大きな目が、少し伏し目がちにこっちを見てる。
　視線が合った瞬間、不思議なことに、急に世界がスローモーションになった。
　周りの音も、見慣れた事務所の風景も全部消えて、その目の中にゆっくり吸い込まれるような感覚。まるで、途方もない引力が働いているみたいに。私はりんごになって、地表に落ちていく。いまにも衝突しそうなほど近くて、体が燃えるように熱くて、うっとり目を閉じたら、背中に冷たい壁の感触がして......あれ？近づいてるのは私の方、じゃなくて、パオの方？どっちでもいい。もう頭回んなくなってきた......

　プルルルルルルルルルルル！

　......電話が派手に鳴り始めて、急に現実に引き戻された。
　覆いかぶさるみたいに私を壁際に追い詰めていたパオが、ハッとしたみたいに身体を離して、急いで電話に出た。
　取り残された私は、熱い頬を手の甲でなだめながら、強い憤りを感じてた。ついつい流されてしまいそうになった自分に。そして、"あの夜のことは忘れろ"と言ったその唇で私にキスをしようとした、パオに。いったい、何考えてんだか。私のことを遠まわしにフっておいて、まだ自分に気持ちがあるかどうか試そうっての？
　もうこれ以上、翻弄されてたまるもんか。
　私は開けっ放しになっていたキャビネットを閉めて、さっさと自分の席に戻り、ファイリングの続きを黙々とやり始めた。
　電話を終えたパオがこっちに投げかける視線を感じたけど、無視した。

　一日の仕事が終わるまでずっとそんな調子で、ろくにパオの顔も見なかった。さっさと帰り支度して出て行こうとしたら、慌てた声に呼び止められた。
「おい、待てよ。もう帰るのか」
「そりゃ、仕事が終わったら帰るでしょうよ。んじゃお疲れ様」
「あぁ！？待て待て。待てっての。用があるんだよ、お前に」
　その言い方に、またムカムカしてきた。
　私はアンタに用なんてないわよ！
　喉まで出かかった言葉を飲み込んだのは、私が慎み深い性格だから、ではなくて、
「今から付き合えよ。っていうか、もう店も予約してるんだよ、ダメって言われても困るぜ」
　......そんな風に、拗ねたみたいな声で言うから。ずるいよ。私に拒否権すら与えてくれないなんてさ。

　私を助手席に乗せて、パオが運転する車。二週間ぶりぐらいかな？あの日、以来。
　ここにいる二人は身体を重ねたこともない関係、ということになってるけど、私の気持ちはまだ積み重なったままで、リセットできずにいる。
　最近は徐々に昼が長くなってきていて、まだ夕日が空の端に引っかかっていた。それを眺めていたら、カーラジオから流れはじめたニュースを無視して、パオが周波数を変えた。しっとりしたバラードが流れ始めて、私は戸惑った。
　アンタ、普段はこんなチャンネル、絶対かけないじゃん。
　ピアノの音をバックに、若い男性歌手の甘い歌声が切ない恋を歌い上げる。私はじっと聞き入った。こうしていると、まるでデートしてるみたいなロマンティックな雰囲気なのに、悲しくなるばかりで、胸が痛い。
　流れてきたのは、こんな感じの歌だった。

　　ダンスフロアに、きみの姿を探してる
　　あの日見た　涙の理由が知りたいよ
　　遠ざかってく　愛のかけらを追いかけて
　　もう一度　時間を巻き戻せたなら　きっと
　　はじめから　また歩き出そう
　　もう迷わないように、この手を掴んでいて
　　はじめから　知っていたんだ
　　きみと出会うために、僕は生まれてきたのさ

「......着いたぜ」
　窓に頭をもたせかけて、ぼんやりしているうちに、車はホテルの入口に横付けされていた。結構有名な大手ホテルで、私も名前は知ってた。
「えっ、ココ？？」
「最近始めたバーラウンジが人気らしいぜ」
　私はてっきり、いつもみたいに居酒屋にでも行くんだと思っていたから、驚いた。
　普段着のままで来ちゃったから、ドレスコードとか大丈夫なのか不安で、パオの後ろに隠れるみたいにして付いて行ったけど、特に問題なかったみたい。店員に案内されたのは、大きな窓に向かって設置されたペアシート。目の前にはパノラマみたいに夜景が広がってて、息を飲むほど綺麗だった。
「なんか、エボニーを思い出すね」
　無愛想に接してたことも忘れて、ついうっかりそう呟いたら、パオが少し嬉しそうに言った。
「そうだろ。お前ああいう系統の店好きだよなぁ」
　なぁによそれ。私が好きそうだから、この店を選んだってことが言いたいの？ムッとしてパオの横顔を睨んだら、ちょうどバーテンがオーダーを聞きに来たから、文句を口にすることはできなかった。

　カクテルは甘くて、料理はおしゃれだった。綺麗な夜景、ゆったりしたBGM。隣にはパオがいる。楽しい歌とダンスに誘われて顔を出した天照大神みたいに、憂鬱だった私の気持ちも、つられて上向きになっていった。
　今まで行ったどの店が美味しかったかとか、泥酔した周防さんが面白かった話とか、あのメニューならウチで再現できそうとか、今度ジャズバーに行ってみたいとか。いつもみたいなノリで、いろいろ喋った。楽しかった。
　私はまだパオが好きだけど、それと同じぐらい、彼のことを大切な仲間だと思っているんだもん。
　大丈夫。頑張ればきっと、今までみたいな関係で、一人の友人として、一緒に歩いていける。
　そう思っていたのに。
　ふと会話が途切れた瞬間、パオの目が、真剣な光を帯びて私を見た。テーブルの上の手が握られて、肩が触れ合う。
　急なことに驚く私の耳に、あのたまらなく男の匂いを感じさせる低音が囁きかけた。

「......そろそろ行くか。上に部屋を取ってある」

　信じられない。どうして、どうしてそんな事が言えるのよ？私はついにキレた。
「......ふざけないでよ......」
「あん？」怒りに震える私を見て、パオはかなり怯んだみたいだった。「な、何言ってんだ？誰もふざけてなんかねぇよ」
「私が今、どんな気持ちでいるか、アンタはどうでもいいし、想像したくもないってことなの！？」
　パオにだけは絶対に見せたくなかった涙が、ついに、溢れ出すのを止められなかった。私は彼をキッと睨みつけ、その手を振りほどいて立ちあがる。
「おい、待てよ！？」
　後ろから追いかけてくる声を無視して、店を飛び出した。

　エレベーターのボタンを連打するけど、三台とも上に向かっている最中で、なかなか降りてこない。
「もう、早くきてよぅ......」
　階段から降りればよかった、と思っても、後悔先に立たず。お会計を済ませたパオに追いつかれてしまった。肩を掴んで強引に彼の方を向かされて、悔しいから、せめて顔だけでも背けてみせた。
「おい、お前なぁ......なにブチ切れてんだよ。そりゃ予告なしで驚いたとは思うがな、」
「......アンタが忘れろって言ったんじゃない」
「......は？」
「あの晩のことは忘れろって。だから私、必死に距離置こうとしてたのに。アンタが望むんなら、もう二度と間違いが起こらないように」
　また涙が零れた。もうやだよ、こんなの辛すぎる。
　でも、私が悲痛な面持ちをしているのにひきかえ、パオはしばらくぽかんと呆けたような顔をして、それから、ガックリと肩を落とした。
「お前、マジかよ。あの時の約束、覚えてねぇのか......」
　ギクッ！！
　......記憶が無いことを黙っていたのは、その通りだ。でも、どうして一発でバレたんだろう？それに、あの時の約束って、本当は、どういうものだったのかな？
　不安そうにパオを見ていると、
「どんな内容だったんだろう、って顔してんな」彼はニヤリと笑った。「いいぜ。全部教えてやるから、俺についてきな」

　チェックインを済ませて、ホテルの部屋へ向かった。気恥ずかしくて足元ばっかり見てる私の背を押して、中に誘導するパオ。
　後ろで、ガチャリとドアが閉まった。
　入口からでも見える大きな窓の外の夜景がきらきらしくて、電気をつけなくても、カーテンやベッド、テレビとか、色々なものがうっすらと見えた。ひんやりとした空気も、その広さを伝えてくれる。とはいえ、ずっとこのままって訳じゃないよね？豪華な部屋みたいだし、明るい中で堪能したいよ。
「......電気、点けないの？」
「あの日は停電だった。こんなもんじゃねぇ、街灯一本すら存在しない、一センチ先に刃物を近づけられても気付かねぇほどの、完全な暗闇だぜ」
　シュボッと音がして、パオのライターの火が灯った。浮かび上がる顔。彼がそのままベッドの近くまで歩いて行ったので、私もその後に続いた。
「ライターの光を頼りに、なんとか物の位置を把握できた。だが、お前が笑いながらいきなり抱きついてきて......」
「ええ！？私がパオに！？」
「そうだ」パオはライターを放り投げた。辺りはまた暗くなり、カーペットの上に落ちたライターはどこに行ったか分からない。「俺はライターを取り落した」
　酔った勢いとはいえ、何やってんのよぅ、私......。
「おい、抱きついて来いよ」この部屋は、完全な暗闇じゃないので、パオが腕を広げるのが見えた。「続きが再現できねぇだろ？」
　......どうやら、私もこの再現に協力しないといけないらしかった。仕方なく、彼の胸に顔を埋めて、木にしがみつくコアラみたいな恰好になった。
「お前が俺に胸を押し当てて、感想を聞いてくるから言ったんだよ。『パッドの感触が硬ぇ』ってな」
「ハァ！？な、何てこと言うのよぅ！？失礼なやっちゃ！」私は憤慨した。
「あの時のお前はそんなこと言わなかったぜ」パオの声は明らかに笑いを含んでる。
「......なんて言ったのよ」
「『そっかぁ』って言って上着とブラを脱ぎ捨てた」
　う、嘘でしょ！？そんなこと言って、私をからかってるだけなんでしょ？......お願いだから、冗談だって言ってよぉ。
「......どうした？早くやれよ」
　声色がマジになった。ちょっと怖い。私は渋々、上着とブラを脱いで、上半身を曝け出した。
　街の光が、部屋の中を青くうっすらと照らしてる。だいぶ目が慣れてきて、さっきより見えるようになってきた。私から見たパオは逆光になっていて、表情まで分からないけど、多分パオからはもう完全に私が見えているはず。恥ずかしくて、露わな胸を腕で隠した。
　再びパオの腕の中に招き入れられて、二人の胸が密着した。
「......それで、この後は、なんて？」自分でも、うわ、と思ってしまうほど熱っぽい声だった。
「......『小さい上に服越しだから分からねぇな』」
「......」
　もう怒りは湧いてこなかった。さすがに今度は、パオの考えていたことも、私がその次に取った行動も、想像できてしまったから。
　私は黙ったまま、彼のジャケットを脱がせて、シャツのボタンを丁寧に外していった。前をくつろげたシャツの中の引きしまった筋肉に、そっと触れる。私はそこに......自分の胸を押し当てた。
　熱くて、固い胸板に頬を寄せる。パオの匂い。
　きもちいい......。
　裸の背中を抱きしめられて、溜め息が漏れた。うっとりしてたら、
「やっぱり、雪見だいふくみてぇだな」
　......ニヤニヤ笑いながらのこの発言。ピキッときちゃうね。誰が雪見だいふくよ！っていうか、すごくエッチなムードが漂ってたのに台無しだわ。
「アンタねぇ......」
「おっと、再現中だったな。続けるぜ」
　急に足払いをかけられて、私はよろめいた。
「う？ちょっ、わったった......」
　ベッドの上に転がされて、覆いかぶさってきたパオにべろりと胸を舐め上げられた。「ひゃあ！？」思わず変な声が漏れる。パオはお構いなしに、もっといろんな刺激を加えてくる。ちゅうちゅうと吸ったり、舐めまわしたり、舌でグリグリしたり、軽くハムハム噛んだり。ちょっと、やだ、雪見だいふくじゃないのよ、それは。
　急展開に追いつけなくて、私はただパオのシャツの襟につかまってハァハァ言ってるだけ。
　あれよあれよと言う間に下も脱がされて、脚を開かされた。
「こないだは全く見えなくて手探りだったが、今日は少し見えるな。......ここだろ？」
　花弁の合わさった部分をつぅっとなぞり、ぐい、と人差し指を半分ぐらい埋められた。
「あっ......」
　衝撃に思わず悶えてしまった。
　パオはさっさと自分も服を脱ぐと、私の上に乗ってきた。熱くて固いモノが私の大事なとこに当たってる......。まだ一ミリも入って来ていないのに、おへその下のあたりがキュンキュンしちゃう。
　でも、いくら待っても、パオは焦らすみたいに外で動かすだけで、全然来てくれない。アレが私の敏感なところを往復する度に擦れるのが、気持ちいいっちゃ気持ちいいんだけど。耐えられなくなって、ついに私は切ない声を上げてしまった。
「ねぇ、なんで？どして入れないの？」
「......そうだ。あの時もお前はそう言ったぜ」
　パオはフッと笑って、動くのをやめた。それから、私の隣に横になって、髪を撫でながら、話してくれた。
「俺は段々酔いが覚めてきて、考えてたんだ。本当にここでやっちまっていいのか？ってな」
　相手の姿が全く見えない暗闇の中、かび臭いベッドの上で、酔いに任せて、避妊もせず......後で後悔するんじゃないか。そう思った、とパオは語った。
「だからお前に言った。『やり直ししねぇか』ってな」

　今日のことは忘れて、もう一度。
　最初から、ちゃんと愛し合おう。

　そういう意味だったんだ。
　私は鼻がツーンとして、涙が止まらなくなってしまった。だってさ。それって、私のことをそれなりに憎からず思ってくれてる、ってことじゃないの？幸せすぎて、どうにかなっちゃいそうだよぉ。
「おい、泣くなよ」ぶっきらぼうだけど優しい声。「まだ最後の再現が残ってるんだからな。そこまでやってから、まず風呂入ろうぜ」
「......最後の再現って、なによ」
「お前が嬉しそうに俺の顔中にキスすんだよ」
　おどけたような言い方に、私は思わず吹き出した。
　どういう風にすればいいのか、私はもう知っていた。だから、涙に濡れた唇で、まずは彼の唇に、熱い口付けを贈った。